さすらう犬の生活 -3ページ目

無口になる今日この頃

どうも文字サイズの調子が悪くて
遠ざかってしまっていた。

ツイッターも
以前に比べると減少しているかもしれない。


この半年
いろんなことがあった。


最大の出来事は
義理の弟、妹の夫が逝去したことだ。

僕と出身地も年齢も同じ
大学病院の教授で
随分と活躍さなかの将来を嘱望された人物であった。


自分の生活を過ごすだけで
精一杯の日常ではあるが自分自身の人生を省みるだけでなく
残された妻(妹だが)や甥たちのことを考えると
思わず言葉少なくなる。


幸いなことに
仕事が忙しく
またほうぼうに講演の依頼を受けて
呼んでいただくので
なんとか別の希望や
自分の生き方を表現できる
方法がある。



そんなわけで
日常生活の
思わぬつぶやきは
ツイッターやフェイスブックにゆだねるとして
ここでは
ちょっとまとまった
人生の考え方のまとめを書いていくことにする。


もちろん
吉田正樹事務所の歴史も書く。
もうすぐ、4年になってしまう・・・・・


吉田正樹事務所の3年間5

うかうかしていると
吉田正樹事務所の3年間が4年間になってしまう。

現に今の時点が3年と7か月は過ぎている。


岩崎夏海を採用したが
彼がやってきたのは3月から

最初の二か月は
自宅に事務所を置き
オフィスを探していた。


なんとなく
急いでも仕方がないと思ったのだが
仕事は意外と決まっていった。


しかし
あてにはしていなかったが
頼まれたつもりだった仕事が
なんとなくなくなったり

いったいどういうやり方が
いいのか
途方に暮れていた。


逢う人からは
これから
何をやるんですか

必ず聞かれる問いであった。


吉田正樹事務所の3年間4

岩崎夏海は社員第一号として
吉田正樹事務所に入ることになった。

給料は勘で決めた・・・・
高いんだか安いんだかわからない。

プロデューサーとして多くの
出演者や、作家のギャラを決めてきたはずなのに。


2009年の1月1日に退社することにしたのは
いろいろな理由がある。

2008年の春には退社の決意をしていたのだが
同期の西渕情報局長が
お台場冒険王の団長をやることになっており
その副団長を同期4人がやることを
引き受けてしまっていたのだ。


ではそれが終わったらと思ってはいたが
年末年始には
多くのお笑い番組があり
とりわけ、元日には
長年かかわってきた爆笑ヒットパレード
そしてかくし芸の放送があり
これをフジテレビマンの立場でやり遂げたかったのである。


そんなわけで
元日の退社というへんてこなタイミングで
港バラエティー局長から辞令をいただいて
お台場をあとにしたのである。


こうして岩崎夏海との
奇妙な会社が始まった。