さすらう犬の生活 -5ページ目

吉田正樹事務所の3年間 1

2009年の1月1日にフジテレビを退職した。
2008年の早いうちにと思っていたのだが
お台場合衆国の副団長を頼まれたり
最期にお正月の生放送を
社員として担当したりという流れで2009年になってしまっていた。


その日は
爆笑ヒットパレードの生で
打ち上げ会場で
港浩一さんより
辞令をいただいた。

本来なら
いろいろ
社内にあいさつに回るのかもしれないが
あくまで現場に
拘った最後になった。

活動の拠点として
自分の事務所を持つということは
漠然と決めてはいたものの
当たり前だが経験もなく
ぼんやりと思うだけだったので

さしあたって自宅を所在地として法人を設立し
連絡先はフジテレビ時代に使用していた携帯電話ということで
スタートすることにしたのである。


まったく自覚のない
旅立ちになってしまった。




普通は
有給休暇をどかんととったり
半分、出社しないでいろいろ準備するらしいが
最期の日まで現場スタッフとして
番組を制作してしまった。









吉田正樹事務所という名前にしたのは
それ以上説明しやすい名前がなかったからだ。


辞めてなにをするのかという説明が一番厄介で
いや、やれることすべてというしかない

吉田正樹という自分の
親からもらった名前と
それに付随する一切をやる会社という意味で
ふさわしい名前になった。


設立は
予定していたが
社員在籍中に登記するわけにもいかず
結局元日設立とはならず
その記念日は
7日という中途半端なものとなった。



そんなバタバタした最後だったので
デスク周りの整理も
年内には終わらず
4日になって
フジテレビに行き整理する羽目になってしまった。


通いなれた13階のデスクに行ってみると
花が届いていた
少々古くなっていたので
元日の夜に届いたらしい。


誰からだろうと
名前を見ると
SMAPだ。


まさしく
元日届くように
手配していただいたらしく
その花はすこし弱ってはいたが
美しく感動的で
僕はしばらく自分の席だったところに座って
その花を眺めていた・・・・


もやもやした日常

どうももやもやした日常・・・・

ソーシャルな結びつきも
いまいち知的好奇心を刺激してくれない。
新しいチャレンジをしたいなあ、と呟いてみる。



神棚の話3

結局
はるさんに来ていただきました。

トイレと浴室の床を張り替え
古びた洗面台を明るくした。

神棚は
社長室へ


なんとなく
気分がすぐれた。


今月
奈良にお参りしてきます。
大阪から入るか
京都から入るか
迷っておりまするが・・・・


新しくなった
吉田正樹事務所は
青山学院のそばです。
またお越しになってない方は
ぜひ訪ねてください。