さすらう犬の生活 -4ページ目

まったく更新しなかった

ずいぶん更新をさぼったものだ・・・・


この間いろいろあったな。


少しずつ吉田正樹事務所の歴史も書いてみよう。

吉田正樹事務所の3年間 3

人を雇うという事が
こんなに難しいとは思わなかった。




放送作家としての活躍ぶりを知っている訳であっても
岩崎夏海をいくらで雇ったらいいのか
そして、何をやってもらったらいいのか想像がつかない。


サラリーマンしかやってこなかった自分が
意外と不甲斐ない・・・・・


もちろんフジテレビの管理職として
新人の面接や中途採用
あるいは入社後の管理や教育は
人一倍やってきたつもりである。


しかし、自分のリスクで仕事を拵え
他人を雇うことがこんなにも不安で決断できないとは





当分は
一人でぶらぶらやって行ってもいいな
などと、呑気に構えていた僕は
岩崎君に
もう少し形になってからでいいんじゃないのかな、と
小さな声でつぶやいた。


だいたい
自分のお金から給料を払ったこともないし
どのくらいがいい感じなのか
ちっともわからないのだから・・・・






しかも、この男
信用できるのかどうかも
見当がつかない。


もちろん才能はある。
しかし
自分の部下になったこともないし
そもそも
随分久しぶりなのだ。


でも
そういえば
少し前に電話して様子を聞いたのは僕だった。


その時は
こんな展開になるとも思わず
なんか、あったら、という極めて業界的な
挨拶のつもりであったのだから。



吉田正樹事務所の3年間 2

吉田正樹事務所と名乗ったはいいが

特に仕事はない。



手持無沙汰な毎日である。





フジテレビを辞める少し前

一人の放送作家がボクを訪ねてきていた。





殿様のフェロモン時代から、そして

それ以降も企画書の作り方が上手で

いろいろ気にかけていた

岩崎夏海くんである。





秋元康さんの弟子で

放送作家でもあり

番組のプロデュースなども手伝っていたはずである。





現在では

もしドラの作家として

日本中が知るところとなったわけだが

当時は何をしているのかよくわからない

存在であった。







話を聞いてみると

既に秋元さんのところは離れており

一年前くらいから神田のゲーム会社と仕事をしているようだ。



うまくいってることも

いまいちなこともあるのだろうな、と感じながら

人生の不思議な味わいを感じていると

不意に彼は

吉田正樹事務所に入りたいと言い出した・・・・・





一人で何をやっていいかわからない訳で

まして誰かを雇って給料を支払う勇気もない。





思わず

絶句するボクなのであった・・・・